2016年7月11日月曜日

『僕がインドネシアにこだわる理由』


『みんなのインドネシア』を閲覧している方々にも、私のことを知っている人は多分いると思います。
私のような高卒の風来坊上がりが、小生意気にもインドネシアについての記事を書いて「フリーライター」と名乗っています。どこかの企業の駐在員だったとか現地採用社員だっとかいうわけでもなく、家族の誰かがインドネシア人というわけでももちろんない。「ただの男」に過ぎない私が、なぜこうもインドネシアに関わり続けているのか?
実際、いろんな人によく質問されます。「君は何でインドネシアに居着くようになったの?」と。
それを説明するには、まず私の過去を打ち明ける必要があります。


私は劣等生でした。中学卒業時の偏差値が40という有様で、どうにか高校に入学してからも成績はいつも最底辺クラス。特に「ノート提出ができない」という欠点がありました。
私は、他人の書いたことを写すのが苦手、というよりまったくできません。今でもそうです。だからこそ、物書き稼業という商売で食べているのかもしれませんが。
そんな私が当時熱中していたのは、総合格闘技。あの頃は桜庭和志選手がPRIDEで大活躍していました。打撃ではなく寝技で名だたる強豪を撃破する桜庭選手に、私はすっかり虜になりました。
「ああ、僕も桜庭みたいになりたいなぁ」
そんな考えで私は、小田急沿線にあった『総合格闘技錬成塾』という道場に入門しました。経営者は、サブミッションの第一人者である梶泰章先生です。
はっきり行って私の身体は、アスリート向きではありません。どんなに練習しても大した実力なんか身につかず、スパーリングではやられてばかり。けれど、そんなことはどうでもいいのです。「格闘技をやっている」、「桜庭選手と同じことをしている」というだけで、私は満足でした。
「格闘技なんかで生計が立てられると思うのか!」
説教しか口にしない大人たちが何と言おうと、私はマットの上に立つのが楽しくて仕方ありませんでした。いえ、私だけではありません。当時は空前の格闘技ブームで、若い練習生がたくさんいた時期です。道場の誰もが、明日の勝利のために厳しい練習で汗を流していました。
私たちの未来の姿は桜庭和志であり、佐藤ルミナであり、PRIDEであり、プロ修斗でした。「たかだか格闘技なんかに」と、何も知らない大人たちは私たちに後ろ指をさします。当時はデフレ経済がいよいよ長引き、誰もかれも「安定した職場探し」に右往左往していました。そんな中で飯のタネにならないことをやっているティーンエイジャーなど、「社会人」と呼ばれる人種の目からは馬鹿そのものに見えていたのでしょう。
それでも、私たちは戦いの中で夢を見ていました。


ここまで大好きだったはずの格闘技なのに、私が高校を卒業すると徐々に熱が冷めていきます。
高校卒業と当時に、私は両親の実家のある静岡市へ移り住みました。そこで長いことフリーターをして、その後アジア各地をブラブラと回る風来坊へ。自分は明らかにロクデナシの道を歩んでいると思います。
そんな旅の途中で私は、インドネシアでも総合格闘技やグラップリングが行われているということを知りました。
日本では2000年代前半の格闘技ブームが過去の出来事となり、選手の高齢化も一気に進みました。キックボクシングでもプロ修斗でも、今や40代の選手は珍しくなくなっています。もちろん高齢選手の活躍はいいことなのですが、問題はそれに続く若手が少ないということ。
日本のマット界は、15年前よりも明らかに衰退しました。それが目に見えて分かるようになると、私自身の格闘技への情熱も次第になくなっていったのです。
ですが、インドネシアは違います。そこで繰り広げられる光景は、まさに私がかつて接していた「あの頃」です。
これは単なる懐古主義と言われればそれまでですが、ともかくこの国では若いファイターが大活躍しています。
三十路を迎えたロクデナシ男がもう一度エキサイトするのに、この上ない環境です。


中央ジャカルタにあるクレコット地区に、地元ファイターのマックス・メティーノ先生が経営する『Dojo Krekot』があります。ジャカルタ滞在中の私は、そこでお世話になっています。
マックス先生はジャカルタ特別州のバスキ・プルナマ知事の従弟で、社会的地位のある家庭の出身。そしてそのような先生の道場で練習するティーンエイジャーを説教しようという大人は、まだ一人も見かけたことがありません。
インドネシアは、実はかなりリベラルな国です。イスラム教徒の女性も格闘技のジムへ通っています。その理由はダイエットだったり、護身術の習得だったり。特に2012年、インドのデリーで悲惨な強姦事件が発生した時は、インドネシアの女性にも「強くならなくては」という意識が芽生え護身術教室の需要が広がりました。
これだけ見ても、インドネシア人は日本人よりも遥かにアグレッシブだということが分かります。そして格闘技という種目は、アグレッシブな人が少なくなれば廃れてしまうものでもあります。今の日本がそうであるように。
この記事を書いている今も、私の頭の中は格闘技のことだけでいっぱいです。結局私は、梶先生の道場にいた時から「社会人候補生」の道を外れて「格闘技の子」になってしまったのでしょう。でも、それでまったく問題はありません。私は物心ついた時から格闘技が大好きだったのですから。
私は今夜も、クレコットの道場に向かう予定です。


澤田真一(さわだ・まさかず)
フリーライター、グラップラー、アマチュアキックボクサー。175センチ86キロ。各webメディアで経済、スポーツ、グルメ、カルチャー情報記事などを執筆する。
https://www.facebook.com/masakazu.sawada

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